2019年12月06日(金)

「しかし、私が与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます」ヨハネ4:14



主はユダヤを去り、ガリラヤへ向かわれる時に、あえてサマリアを
通られた。普通はサマリヤを通らなかった。ユダら人とサマリヤ人
は仲が悪く、付き合いをしなかったからであった。しかしこの時サ
マリヤを通られたのは、心が飢え渇いて救いを求めている、一人の
女性に会うためであった。主は「旅の疲れで」井戸のかたわらに座
られた。非常に疲れて、座り込んでおられた。

主も私たちと同じように疲れを覚えられる、私たちの理解者だ。こ
こでサマリヤの女性は「偶然」主に出会ったのではない。主の方が
彼女を求められたのだ。ご計画の内だ。「わたしに水を飲ませてく
ださい」と彼女に頼まれ、会話の糸口を作られた。そして個人伝道
をされた。彼女の心は非常に渇いていた。その渇きを満たすために
男性を求め、次々と5回の結婚離婚を繰り返し、今は同棲していた。

決して男性によっては心は満たされなかった。近くの女性たちが井
戸水を汲みに出て、お喋りを楽しむ夕刻には姿を現さず、人目を避
けて、カンカン照りの昼間に生活用水を汲んでいた。人目をはばか
る生活であった。そんな心満たされず、渇いている彼女に、主が近
づき、罪を示し、たましいの救いを与えられた。

すると今まで人と顔を合わさず、隠れた生活していた彼女が、生活
の大切な水がめを置いて、町へ出て行った。そして人々の前に出て、
言った。「来て、見て下さい」と主イエスを指した。彼女は変えら
れた。同様に私たち一人一人をも、主は目を留めて下さったので、
救いに導かれた。あなたに目を留められ、あなたを愛されている
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誰よりも自分の罪を恥じていた彼女が主によって新しくされた。
罪を赦され、愛されている。その喜びをもって人の前に出て行け
た。罪から解放され主の愛を知った生まれ変わった姿だ。