2002年10月07日(月)

「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい」(コロサイ3:13)


 ある兄弟が取っ組み合いの喧嘩をしていて
母親に叱られた。双方で、ごめんなさいを言
わせられ、兄弟で謝り合った。
ところが母親が去った途端、にらみ合いのの
しり合った。よく見る光景だ。口で赦すと言
っても。うわべだけの事がよくある。私達も
赦さなければならない義務感から赦すかもし
れない。しかし、心から赦してはいない事が
明らかになる。赦す動機が問題だ。
母親が恐いから、また良心の呵責から逃れた
いから、自分の得になるからだろうか。
神のみこころは、神が赦してくださったよう
に赦す事だ。神は私達の失敗や過失を赦して
くださり、綺麗に忘れてくださるのだ。
私達は赦したいと言いつつ、何かが起こると
すぐ以前のその失敗や過失を持ち出す。
根に持って忘れてはいない。聖霊の助けで私
達は赦す事ができる。