2020年03月06日(金) 「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい」ピリピ4:4
「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい」ピリピ4:4
この前の箇所で、ユウオデヤとスントケに、主にあって一致するよ うにと勧めている。教会宛の手紙に、個人名を出してまで勧めてい る。どのような状況で、どんな問題があったのかは、記されておら ず、わからないのだが、争っていたのか、一致が無かったようだ。 周囲にも彼女たちを助けるようにと懇願している。 そしてそのような中で、「喜びなさい」と繰り返し二度も言ってい る。状況的には決して喜べない問題のさ中にあって、状況がうまく 行っているから喜ぶのでなく、「主にあって」喜べと言う。ラッキ ーな事、ハピーな事があれば、誰でも喜べる。だが、誰しも悩みの 中では、重苦しく、どうしても悲観的になり、暗くなり、沈み込ん でしまう。 教会内でも仲違いがあり、喜びとは全く逆の感情に向かってしまう。 しかし、主にあって、信仰によって喜べるのだと。そして「寛容な 心をすべての人に知らせよ」と。十人十色で、十人いれば、皆、意 見は違い考え方は違い、好き嫌いも違う。生い立ちが違い、境遇が 違い、価値観が違うから当然だ。 しかし皆、背景の違う人々が、主に在っては一致できる。主は一つ、 信仰は一つだから。自分の思い、肉の思いを捨てて、主の御心を求 め、御言葉を求めるなら、そこに一致がある。そしてそこに立つ時 に、違う人々が受け入れ合える。そして、「何も思い煩わないで、 あらゆるばあいに、感謝をもって」祈れと。 ことごとく問題を、悩みを、そのまま主のもとに持って行き、主に 打ち明けてよと。何があろうと、いっさい思い煩わなくてよいとは、 何という恵みだろう。今、抱えている問題をそのまま主に持って行 こう。 ------------ 人の営みを見ると一致できないのはお互い様ではないか。主にあっ て全ての人が結び合わされている。教会が与えられて、世の未信者 の群から集まる兄弟姉妹が与えられている事は何と感謝だろう。