2020年04月05日(日) 「イエスは彼に言われた。『起きて、床を取り上げて歩きなさい』 すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した」ヨハ ネ5:8
「イエスは彼に言われた。『起きて、床を取り上げて歩きなさい』 すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した」ヨハ ネ5:8
ベテスダの池に、38年間病気で伏せっている男性がいた。38年とは 何と長い歳月だろう。初めは、あちこち医者を訪ね、良いと言われ る事は何でも行ない、あらゆる方法を試してみた事だろう。どうし ても直りたい。しかし、何をやっても、何もどうにもならない現実 を知る。今度こそはと期待しては、裏切られ、又、望みを置いては、 落胆しの繰り返しだった事だろう。段々、心が折れて来る。 その最後に、ベテスダに池にたどり着いた。だがそこも同じだった。 水が動いた時、最初に入った者はどんな病でも癒される。じっと動 く時を待ち、次こそ、次こそはと思うが、他人に先を越されてしま う。期待しては打ち砕かれ、挫折の繰り返しだ。心が疲へいし、期 待すると傷つくので、もう期待する事を止めてしまう。これ以上傷 つきたくない。 主は、この男性の38年間の苦しみ、悲しみ、嘆き、失望を、何もか もご存じで、この男性に問われた。「よくなりたいか」と。彼は介 助者がいないからダメだ、介助者のいる人が先に行くと言い訳した。 私たちもどうだろう。あれが無いこれが無い、だからだめ。又、自 分がこうなのは、環境のせい、社会のせい、親のせい・・自己憐憫、 自己正当化の中にいる限り、何も変わらない。 喜びも平安も無い。状況や人は関係無く、自分はどうなのかと。 「あなたはよくなりたいのか」と主は問われている。自らの心はど うだろう。よくなりたくないのだろうか。「はい、よくなりたいで す」と答えよう。主はその信仰を受け取り、主がそのようにして下 さる。 ・・・・・・・・・・・・ 「床を取り上げ」自分の離れられない「床」は何だろう。自己憐憫、 周囲への赦せない思い、憎しみ、怒り、「よくなりたいか」の御声 に応答する時、38年の苦しみから解放して下さる。よくなりたい かと、問われている。