2020年05月06日(水) 「苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました。しかし今は、あなたのことばを守ります」詩篇119:67
「苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました。しかし今は、あなたのことばを守ります」詩篇119:67
信仰人生にも、様々な問題がき起きる。問題や悩みは、誰しもいや なものだ。できるだけ、痛い目には会いたくない。できれば、避け て通りたいし、出来る限り順境であって欲しい。平穏な日々が、私 たちの心からの望みだろうか。しかし、御言葉はそう言わない。正 反対のことを言う。 「苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました。しかし今は、 あなたのことばを守ります」「苦しみに会ったことは、私にとって しあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました」。一見、 苦しみに会うと、あやまちを犯すふうに思う。だから、平穏でいた い。しかし、逆で、苦しみに会う前は、あやまちを犯したと言って いる。 つまり、苦しみを通ったからこそ、あやまちから守られ、御言葉に 従い、御言葉を守る者とされていると。そして、苦しみに会ったこ とが、幸せだったと言っている。私たちは、苦しみに会うことは、 不幸だと思っている。根深い肉の価値観だ。しかし、信仰人生で一 番主に近かった時は?との問いに、皆が、試練の時、最も苦しかっ た時、と答える。あんなに主に近い時は無かったと。 これは苦しみにより、主に頼り、拠りすがる者とされるからだ。真 剣に、本気で、主に向かい、切に御心を問い、自らの本当の姿を照 らされる。普段順境の時には、決して知る事のない、自分の不信仰 や、エゴに気づかされる。悔い改めて、新たにされる。そして、主 を新たに知り、主との交わりが深められて行く。これこそが一番の 幸いだ。 ---------- 苦しみの中で主を親しく知り、これまで一人で孤軍奮闘していた自 分から主は解放してくださった。主は苦しみを通して主に頼る事を 一歩一歩、教え続けてくださる。