2020年06月05日(金)

「寄るベのない者に施しをするのは、主に貸すことだ。主がその善行に報いてくださる」箴言19:17 

 

同じ箴言に、寄るべのない者の叫びに耳を閉じるなら、自分が主に
呼ばわる時に答えられない、ともある。困窮者の必要に、目を、耳
を閉じる事は、祈りの答えに関係して来る重大な事だ。祈りの生活
に直結する問題だ。困っている人がいる時に、見なかった事にして
しまうだろうか。そうすると責任を感じなくて済むし、悩まなくて
済む。

しばしば時間、労力、富、犠牲を払う事を嫌がり、面倒に思ってし
まう。しかし「あなたの手に善を行なう力があるとき、求める者に、
それを拒むな」とある。「ことばと口先だけで愛することをせず、
行ないと真実をもって愛そう」「自分の心に責められなければ、大
胆に神の御前に出ることができ」「求めるものは何でも神からいた
だける」。口先でなく、行ないと真実をもって愛する時、求めるも
のをいただける。自らの祈りが聞かれて行くと。

祈りと関わって来る。そして何より主にとどまり、主と一つ心であ
るので、妨げのない御霊の喜びと平安が満ちる。「少しだけ蒔く者
は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は豊かに刈り取る」「神は、
あなたがたを、すべての事に満ち足りて、すべての良いわざに溢れ
た者とするために、あらゆる恵みを溢れるばかり与えることのでき
る方」とある。

この実際を、時間、労力、富を献げて行く者が経験し、味わって行
ける。私たちは何のために生きているのだろう。楽をするため、蓄
えるためだろうか。主の栄光を現わし、主のわざにあずかり、主を
更に知るためだろうか。
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してはいけませんという御言葉には敏感になれても、しなさいとい
う御言葉は、無理だと簡単に流していると改めて思う。与えようと
して周囲を見ていく目を主に祈りたい。