2020年07月06日(月) 「ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです」マタイ20:14
「ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです」マタイ20:14
ぶどう園が収穫期のため、労務者が早朝、9時、12時、3時、5時と順 次雇われた。早朝の者だけ1日1デナリの明確な契約がなされ、9時以 降の者の報酬は「相当のもの」となっている。そして1日の労働を 終えた時に、5時の者から順に、全員に等しく1デナリが支払われ た。1デナリは当時の1日分の給料だ。5時の者たちは非常に驚い ただろう。 ほんの少し働いただけだ、もう片づけに入る頃だ。それなのに丸々 1日分貰えた。だが早朝の者は怒りがおさまらない。5時の者が1 デナリなら、朝早くから労働した自分たちは、もっともらえるべき だ。それなのに同額とは納得が行かない。憤慨して主人に文句をつ けた。「1日中労苦と焼ける暑さを辛抱した」と。それが同賃金と は不公平だと。自分たちは辛く苦しかったと言った。 だが、別の面から見れば早朝から1日分の報酬が確約されていた。 家族の喜ぶ顔が浮かんだ事だろう。又早朝から選ばれたからには頑 健な人々だったろう。ところが5時の人々はどうだろう。怠けてい たのでなく、働きたいが、夕刻まで雇って貰えなかった。身体が弱 そうだったかも知れない。夕刻になるのに今日の糧が無い。ずっと 不安で思い煩いであったろう。家族はどんなに落胆するだろう。 その心細さ、恐れを抱えて夕方まで過ごした事になる。労働して給 料を貰うのは報酬だ。しかし労働無しに報酬を貰えた。これがあわ れみだ。主は、あわれみのお方であり、天の御国は、このあわれみ の世界だと。私たちも、大きなあわれみを受けている。罪ゆえ滅び て当然の者が、救いに入れられた。値しない者に、何と驚くべき恵 み、一方的な愛顧だろう。感謝しかない。 ----------- どの立場に立っているのかと、いつも心を照らされる。主から与え られる恵みがあまりにも大きすぎて、その全てが見えていないので はなか。主の深いあわれみに、ただ感謝するばかりだ。