2020年09月05日(土)

「なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうから です。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自 分のしたいと思うことをすることができないのです」ガラテヤ5:17


肉とは、肉体でなく、神無しで生きる高ぶりであり、神に反抗し、
真理を憎み、罪を求める性質だ。神に敵対して行く生活原理だ。肉
は改良する事はできず、訓練も出来ない。訓練で良くなるものでな
く、「肉」は捨て去るしかない。「肉によって生まれた者は肉です。
霊によって生まれた者は霊です」。

一見、肉が訓練されて霊になるように思うが、そうではない。肉が
霊になる事はない。肉は肉、霊は霊だ。新生した時に、新しい性質
を受ける。神のご性質だ。しかし肉もまだあり、且つ新しい性質も
宿すので、二つの性質が内にある。生まれつの肉のままに歩むと、
そこに戦いはない。自分の好きなように歩むので、葛藤が生じない

だが御霊に従って歩もうとする時、肉との戦いが生じ、葛藤が起き
る。肉は御霊に逆らい、御霊は肉に逆らう。この二つは対立し、自
分のした事が出来ない。例えば、嫌いな相手がいると、肉はずっと
嫌っていたいので、肉に歩むと葛藤はない。ところが御霊は愛する
ように導かれる。すると肉と、御霊の導きが対立してそこに激しい
葛藤が起きて来る。

パウロも経験した。善をしたいと願うのに、したくない悪を行なう。
善をしたいのに、実行できない。本当にみじめな人間だと。そして
苦しんだパウロは解決を見い出した。自分の力でなく御霊によって
歩むことだと。「御霊によって歩め。そうすれば肉の欲望を満足さ
せることはない」と。御霊の導きに従えるよう、祈ろう。

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自分の力でやってみるが、必ず行き詰まる。行き詰まりが感謝だ。
成長するためには、砕きを通される。砕かれる。そして真剣に主に
助けを求める時に、必ず答えて下さる。「出来ません」と祈る時、
御霊の力によって、出来るようにされ、御霊の助けを経験して行く。