2002年11月03日(日)

「あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである」(マタイ13:14)

一人の婦人が事故に会った。右折で、直進車が
見えず、交差点で衝突。車は滅茶苦茶になった
が幸いけがはなかった。車が全然見えなかった
と言ったが、ある男性は、何もかもが全く見えな
かったため、人生を踏みはずしてしまった。
目の前の欲望しか目に入らなかった。自己中心
な、わがままな道を歩み続け、とうとう法を犯して
しまった。その結果、苦しみの刈り取りをしなけ
ればならなかった。家庭崩壊、離婚、子供との
離別、健康を害する事、身柄の拘束・・。何も
見えてはいなかった。神に立ち返り心から悔いて
いる。蒔いた種は刈り取らなければならない。
不信仰の罪の種でなく、信仰の従順の種を
蒔こう。どんなに素晴らしい御霊の実を刈り
取ることだろう。