2020年11月05日(木) 「世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう」Tヨハネ3:17
「世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう」Tヨハネ3:17
困難が起きた時に、まず頼るは主であり、避け所だ。何があっても、 頼るべきお方、行けるところがあるとは、何と幸いな事だろう。し かし自分が困った時に、大胆に確信を持って祈ろうとするなら、普 段から「神の命令を守り、神に喜ばれることを行っている」ことが 大切だと言っている。 すなわち他人の事を思いやり、他人が困っている時には、その必要 に仕えていなければならない。人が困っているのを見て、助けるこ とができるのに、憐れみの心を閉ざすなら、自分自身が困った時に、 どうして心が責められずに、主の御前に出る事が出来ようかと。 「寄るべのない者の叫びに耳を閉じる者は、自分が呼ぶときに答え られない。」 人の苦しみには耳を閉じ、自分が困っている時には助けて欲しいと は、自らの心がとがめて、御霊によって、祈る事が出来なくなる。 心にとがめがあるなら、それが妨げとなり、どれだけ祈ろうとして も確信が持てない。祈りが妨げられないために、いつも大胆に御前 に出られるように、普段の生活で御霊に示される事には、一つ一つ 従って行こう。 肉は犠牲を惜しみ、渋るので、御心に従えるように助けを求めて祈 ろう。そうする時、御前に心が平安にされる。そしてとがめ無く大 胆に祈ることができて、「求めるものは何でも神から頂くことがで きる」素晴らしい恵みと祝福にあずかる。 ------------- 御霊の促がしに従えるように祈ろう。受けるだけで満足し、人のこ とを顧みられない者だ。自分には出来ないが主がしてくださる。 御霊に導かれ主の心で従おう。