2020年12月02日(水)

「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」Tヨハネ1:9



ある人が、生い立ちの中で、母子関係に歪みが生じていた。小さな
頃から、幾ら頑張っても母親に認めてもらえなかった。母親にほめ
られたくて、勉強も懸命に頑張ったが、良い成績を取っても、一度
もほめられなかった。更に上をと、尚も要求されて苦しんだ。とう
とう心を病んでしまった。主の愛に出会いクリスチャンになったの
だが、母親への赦せない思いに、悶々状態が続いた。

しかし主を知り、この苦しみを祈りに持って行けた事が幸いであっ
た。主に心を打ち明け、思いも感情も何もかもを吐き出し、祈って
行った。そんな中、示された。母親自身に確かに問題があり、母親
から深い傷を受けた。しかしそれは母親の問題であり、赦せない事、
憎しみは、幾ら言い訳しても、自分の問題だと。

今までずっと悪いのは母親で、自分は被害者だと思っていた。苦し
いのは母親のせいだと思うので、ますます母親を憎んだ。その陰で
全く気づけなかった。自分の罪は罪と認めて、告白し、御前に悔い
改めた。その時、心の重い鉛が溶けて行った。悶々だった心が落ち
ついて行った。問題が起きた時に、相手のせいにしてしまう。確か
に相手に非があるが、そうしている限り、自分を見なくて済む。

だがそこには解決がない。それは相手と神の関係であって、自分に
は関係が無い。相手を憎む自分は、神の前にその責任を負う。それ
を告白し、憎しみは憎しみとして認める時、赦しが臨み、平安が戻
る。そして胸の辛さから解放されて行く。主はしばしば「辛さ」を
用いて正しい方向に導き返して下さる。
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自分の罪は罪として悔い改め、憎しみを手放せるよう祈ろう。相手
に向かっている目を主に転じて、主との関係をみてみよう。主にあ
りのままで愛されている。真の自分の価値を主から受け取ろう。