2021年02月03日(水)

「しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください」マタイ26:39



ある若い宣教師が、発展途上国の宣教地に赴任した。慣れない生活
習慣、言葉、気候、文化に大変な苦労をした。カルチャーショック
で落ち込み、母国を遠く離れた寂しさや孤独感にも見舞われた。生
活習慣が全く異なり、無意識にも、培われた価値観で量るので、現
地の習慣と合わず、イラ立ってしまい、怒りすら出て来る。自分の
思い通りに事が運ばないので、傷ついている事にも気づかされた。

イラ立ち、怒り、失望、落胆、挫折感・・平安とはほど遠いありさ
まだった。落ち込んで、疲れてしまう事が度々だった。だが、目を
主に向け、神視点に立つ時、見方は全く変えられるのであった。こ
れら一つ一つの出来事は、自分の砕きのためだと教えられた。どこ
までも自分の思いは強く、宣教活動も、一つ一つの対応、対処も、
自分の思う方法でやりたい。

その「自分の」思い、「自分の」方法が、砕かれて行くのがわかっ
た。何一つ自分の思い通りにならなかったのだ。主からの砕きの訓
練であった。そんな中で、自分のしたい事をするために、そこにい
るのではなく、主のなさりたい事を主がされるために、自分がそこ
にいる事に目が開かれて行った。今一度、自分自身を明け渡した。

その時に、自分の思い通りでなくとも、主のみこころが成されて行
く事、そのために自分が用いられている事に喜びを感じる事ができ
た。自分が変えられた。そこに立つ時、状況がどうであれ、心平安
に対応できるようにされた。
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自分の思いにふさがれ、すぐに迷ってしまう者だ。自分の願いと共
に、しかし、主の御心がなりますようにと祈ろう。主のみこころが
なされていく事が願いと明け渡していきたい。