2021年03月06日(土)

「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せな さい・・復讐はわたしのすることである」ローマ12:19


私たちは、誰かから非難、中傷、攻撃されたならどうだろう。肉は
怒りで、即、報復したい。やり返さなければ気が済まない。しかし
御言葉は、悪に対して悪をもって報いるな、と言う。肉は、やり返
すとスカッとする。傷つく事を言われると、こちらも言い返すと、
その瞬間はスッとする。やられっぱなしで、どうすると思う。しか
しあくまでも、それは肉がスカッとするのであり、新しい性質は違
う。

御心からはずれると、平安が失せる。誰しも経験あるだろうか。肉
で、怒りにまかせてやり返すと、瞬間はスッとするのだが、気持ち
は暗たんとする。平安が無くなる。それは争いの連鎖を生み出し、
相手も又、激高する。売り言葉に買い言葉となり、感情的になり、
思ってもいない言葉まで出る。傷つけ合い、取り返しがつかなくな
る。

主は「復讐するな」と言われる。では、やられっ放しではと思うが、
そうでなく「わたしが報いをする」と。主が復讐するから、私たち
はするなと。だから、私たちは、理不尽な攻撃であろうと、自分で
決して復讐せずに、主にゆだねる事だ。すべて主に任せよと。そし
て敵が飢えたら、食べさせよ。それは、彼の頭に燃える炭火を積む
ことになると。

相手は良心のかしゃくに、恥じ入る事になる。善をもって、悪に打
ち勝てと。肉は、悪をもって悪に報いたい。人にはできない事だ。
しかし人にできない事が神にはできる。自分にはできない事を認め、
主を求めよう。御霊が働き、御霊の力によって不思議を経験する。
祈りに答えられる。

・・・・・・・・・・・
攻撃を受けると、肉は報復したい。しかし主は報復するなと言われ
る。では、悪にやられっ放しなのか。主は正義の方であり、正しい
裁きをされる方だ。主が復讐されるので、私たちのする事は、自分
でせずに、主にゆだねる事だ。怒りも恨みも、主のもとへ持って行
こう。