2021年04月05日(月)

「そこでイエスは言われた。「十人いやされたのではないか。九人はどこにいるのか」ルカ17:17



10人のらい病人が、主のもとに来た。遠く離れた所に立って、大声
であわれみを求めた。当時、らい病は汚れた病気で隔離されていた。
人々との接触は許されず、「私は汚れた者です」と自分で言わなく
てはならなかった。病気の苦しみの上に、社会生活はできず、精神
的な孤独、悲しみ苦しみがあった。宗教的にも汚れた者であった。
必死の思いで主にすがって来たであろう。

「どうぞ、あわれんで下さい」と叫んだ。主は、彼らをあわれみ、
癒された。すると10人の内、1人だけが主のもとへ戻り、9人は戻っ
て来なかった。病気が完全に癒され、社会復帰ができて、自由だ。
普通に生活ができる。生けるしかばねのようであった彼らからすれ
ば、何と夢のような事だろう。9人は、ラッキー、幸運、良かった
と、世の中へ帰ってしまった。

彼らにとっては、飛び切りの幸運で偶然の事態であった。そこに神
は無かった。1人だけが戻り、大声で主をほめたたえ、主の足もと
にひれ伏して感謝した。主への感謝で一杯で、賛美と喜びだった。
そこに主を認め、主を崇めたのだ。彼だけが、全く新しい信仰の人
生に入った。

「あなたの信仰が、あなたを直したのです」彼は主の愛を体験し、
救いを受け、主の愛の中を生きて行く人生が始まった。何が大切な
のだろう。病気が治る事だろうか。本当の幸せは「世の終わりまで
いつもあなたと共にいる」、この事だ。その幸いな人生へと招いて
下さっている。苦しみの時も喜びの時も、主と生きて行ける事が、
真の幸せだ。
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与えられたものを喜ぶのではなく、与え主である主を喜びとしよう。
問題が解決したら一直線に世に帰って行くなら、また次の問題に翻
弄される。いつも共にいる主を喜びとする生涯を歩もう。