2021年05月06日(木) 「偶像のために、みなわたしから離されてしまったイスラエルの家 の心をわたしがとらえるためである」エゼキエル13:5
「偶像のために、みなわたしから離されてしまったイスラエルの家 の心をわたしがとらえるためである」エゼキエル13:5
私たちは、神以外のものに心を奪われ、執着すると、神が見えなく なってしまう。太陽の前に10円玉を置くと、大きな太陽が全く見え なくなるように。そして神の前に置いたものは、偶像となってしま う。主を裏切ったユダは、主の前にお金を置いて、主が見えなくな った。 金持ちになりたがるなら、「誘惑と罠に陥り、破滅と滅びへ向かう 欲に陥る」とある。「金持ち」とは金銭だけではない。地位、名誉、 賞賛、評価、人の上に立ちたい野心であり、自分が認められたい欲 望だ。その欲は、悪魔の誘惑と罠に陥るとある。信仰から迷い出て しまう。そして迷い出ていて気づかない。 クリスチャンになれば、人の作った石や木の偶像を拝む事はない。 しかし偶像は目に見えないものでもある。泥酔やギャンブルならす ぐわかるが、一見麗しい、喜ばしいもの、悪くなく、良いものであ ると気づかない。「彼らの力とするもの、栄えに満ちた喜び、愛す るもの、心に慕うもの」だ。あなたに握りしめて放さないものがあ るだろうか。 神より大切になっているものだろうか。自分の内に偶像がないか、 御霊に探って頂こう。そのままにしておくと、ユダでないが命取り になってしまう。主のもとに行き、主に告白し、偶像を主のもとに 持って行こう。主に渡せるように祈ろう。 きよめられ、主がはっきりと見えて来る。10円玉が除けられると太 陽がはっきり見えるように。その時、今までぼんやりしていた、主 の御声がはっきりと聞こえ、信仰に前進できる。 ・・・・・・・・・・ 主がぼんやりしている時、主以外のものが、心を占めているだろう か。もし主を更に親しく知りたいなら、心を照らされるよう祈ろう。 自分でも気づかずに、偶像になっているものがあるかも知れない。 献げて行けるよう祈ろう。