2021年07月06日(火) 「イザヤはヒゼキヤのところに人をやって言わせた『イスラエルの神、主は、こう仰せられます。あなたがアッシリヤの王セナケリブについて、わたしに祈ったことを、わたしは聞いた』」イザヤ37:21
「イザヤはヒゼキヤのところに人をやって言わせた『イスラエルの神、主は、こう仰せられます。あなたがアッシリヤの王セナケリブについて、わたしに祈ったことを、わたしは聞いた』」イザヤ37:21
ヒゼキヤ王の時代に、アッシリヤ王セナケリブがユダを攻め取った。 セナケリブは、ラブシャケを送り、ヒゼキヤや人々に脅しをかける。 大軍を伴い、挑んで来る。ラブシャケはユダの民に、ヒゼキヤは、 主が救うというが、そんな言葉にだまされるな、救えないと信仰を 動揺させる。これを聞いたヒゼキヤは衣を裂き、荒布をまとって主 の宮へ行き、祈りを献げ、イザヤにも祈りを要請した。 イザヤは祈り、アッシリヤ王について、主の答えを告げた。「彼は もと来た道から引き返し、この町には入らない。わたしはこの町を 守ってこれを救おう」と。私達にも同様だ。サタンが攻撃をしかけ て来る。経済的苦境や信仰ゆえの戦い、圧倒的な勢力を持つこの世 を前に、自分達の無力を見せつけて来る。祈っても無駄だ、神を信 じて何になる、しょせん無力だと、心を萎えさせる。 神を信じて立たないように、この世に妥協して生きるように誘惑す る。そうすれば楽に生きられ、世の成功を手にできると。巧妙なサ タンだ。このような時には祈りが対抗手段だ。ヒゼキヤもイザヤも 祈った。すると主は祈りに答え、奇跡を行われ、主の使いを遣わし、 アッシリヤの陣営を皆、打たせた。 その結果、アッシリヤ王は立ち去った。世に妥協させようとする、 耳元に来るサタンの誘惑に気づけるように。あなたにもこの誘惑が 来ているだろうかか。祈りによって立ち向かおう。 -------------- 執拗に主に従わせないように働きかけるサタンの声を聞き分け、主 に祈ろう。御言葉を握って立ち向かう時、サタンは逃げ去る。わた しは聞いたと言われる主が、祈りを聞いて導いてくださる。