2021年09月05日(日)

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛して いる」イザヤ43:4


私たちが、就職試験を受ける時はどうだろう。「何が出来るか」
「どんな資格を持っているか」「何が得意で、どんな能力があるの
か」「秀でたものはあるか」「人が持っていない特技を持っている
か」これらが就職試験で問われ、有利になる。

もし、「何も出来ません」「あれも、これも出来ません」「資格は
何もありません」と言えばどうだろう。この世では、能力のある者、
特技を持つ者、出来る者が尊ばれる。しかし、主の目はどうだろう。
主は何を見ておられるのだろう。「わたしの目には、あなたは高価
で尊い。わたしはあなたを愛している」と言われる。

何が出来るか、出来ないか、何を持つか、持たないかは、いっさい
関係が無い。「わたしの目には、あなたは高価で尊い」と。付加価
値をつけたあなたでなく、今、そのままのあなたの事を言っておら
れる。この世の価値観は、良い子が愛され、悪い子は認められない。

良い子になれば愛される。私たちも、培われた根深い価値観があり、
良い子になれば認められ、受け入れてもらえるのだと思う。そのた
め、クリスチャンになってからも、愛してもらいたくて、主に認め
てもらいたくて、善行を行なおうとする。これは全く間違っていて、
逆行している。

律法の下に身を置く事になり、平安も喜びも失ってしまう。愛をも
らうために善行をするのでなく、すでに100%愛されているから、
その愛に感謝して、善行をする。これが恵みだ。いつもこの恵みに
とどまるようにと。油断をすると律法に陥る。この恵みに目が開か
れるよう祈ろう。

・・・・・・・・・・・
主の愛から離れ、恵みのもとから出てしまうと、自分の力で歩み、
信仰生活が担い切れない重い荷となる。又、自分の力で出来たと
しても、自分を誇り、栄光を自分に帰して行く。ますます主から
離れてしまう。主との交わりの中にとどまり、主に信頼を向けよう。