2021年10月04日(月)

「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい」マタイ26:38



ペテロは、弟子たち皆が主を裏切っても、自分だけは決して裏切ら
ないと豪語した。「私は」どこまでもついて行く。「私は」あなた
を知らないなどと決して言わない。「私は」何があっても大丈夫。
ペテロは自分に自信があり、自信満々であった。「自分は」他の弟
子たちとは違う、そこに高慢が潜んでいた。

「シモン眠っているのか、まだ眠っているのか」との主の言葉の通
り、ゲッセマネで、主が祈りの大変な苦闘にある中、眠り込んでい
た。主は、ご自分の姿をありのまま弟子たちにさらけ出された。
「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです」と、ここを離れないで目
をさましているようにと、弟子たちが一緒に祈る事を願われた。

ご自分の弱さを認められ、御父に拠りすがり、祈りに持って行かれ
た。弱さを認めた祈りの苦闘の中で勝利され、「立ちなさい。さあ
行くのです」と立ち上がられた。十字架に向かって真っ直ぐに歩み
出された。主とペテロの違いは、ペテロは自分の弱さを知らなかっ
た。弱いからこそ祈るのだが、弱さの自覚がないため、祈りが無か
った。

主は弱さを自覚され、切に御父に拠り頼み、祈られた。眠気が問題
なのでなく、自らの弱さを知らない事が問題であり、致命傷だった。
誰しも自分の弱さは認めたくないものだ。しかし、弱いからこそ祈
ることができ、頼ることができる。そしてその祈りは豊かに答えら
れる。
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失敗を通して、何度も無力を知らされる。主を頼らざるを得ないよ
うにされるのは感謝だ。無限の主の恵みの賜物を味わえる。今週も
主に頼り歩もう。