2022年02月03日(木)

「アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同 然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信 仰は弱りませんでした」ローマ4:19



アブラハムは75歳の時に主の示しに従い、カランを出てカナンの地
に移り住んだ。しかし主の約束にかかわらず、子が無く、しもべエ
リエゼルを相続人にと考えていた。その時に主に「その者が継いで
はならない。あなた自身から生まれ出る者が、跡取りとなる」と語
られ、外に連れ出され、満天の星を見せられた。

そして「あなたの子孫はこのようになる」と。彼は主を信じた。主
はそれを彼の義と認められた。その後、尚も子どもは生まれず、サ
ラの提案のもと、当時の風習でもあり、奴隷ハガルによりイシマエ
ルを得た。しかしこれは肉による事で、アブラハムの失敗であっ
た。

86歳だった。その後も約束はあるが、13年間、状況的には何一つ動
かず、全く何も見えない歳月が続いた。厳しい忍耐の時であった。
13年経た時、99歳の時に、主が彼に再び現われ、子孫を与えると語
られた。そして100歳になって、とうとう実子であるイサクを得
た。

アブラハムは常識的には不可能である、厳しい状況の中で、主ご自
身を信じた。望みえない時に望みを抱いて信じた。見えたなら信仰
は必要ない。見えないものを信じるから信仰だ。それは厳しい状況
を見るのでなく、約束して下さった主を見続ける信仰だった。

アブラハムには数々の失敗があった。しかし、信仰の父と言われ、
主はその「信仰」を喜ばれた。あなたも今、非常に厳しい状況だろ
うか。「胎の死んでいることを認めても」、状況的にどんなに不可
能と見えても、主の約束の言葉の方を選び、約束に立とう。
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いくら素晴らしい御約束でも、まずこれが何とかならないとと、無
理な条件を見て、主の御約束をただの美しい言葉にしてしまう。主
に不可能はない。主を信じて立とう。