2022年08月05日(金)

「あなたのみこころを行なうことを教えてください。あなたこそ私 の神であられますから」詩篇143:10



私たちは、何を喜びとするだろう。自分の願望が叶えられ、自分の
思い通りになるなら、幸せだと思うのではないだろうか。だいた
い、
自分の欲望が満たされる事が心地よく、幸せに感じる。これは肉の
価値観であり、主を知る以前はこの価値観で生きて来た。

心満たされたいゆえに、自らの願望を遂げようとする。仕事、趣
味、
名誉、地位、愛する人・・次々と求めて行く。しかし欲するものを
手にした時に、一瞬の快楽はあるが、真に満たされる事は無い。心
は虚しく、更に渇くばかりだ。「この水を飲む者はだれでも、また
渇く」とあり、欲望が叶っても、心が満ちる事はない。

井戸ばたのサマリヤの女性は、5回の結婚と5回の離婚を重ね、現
在は同棲中だった。彼女は男性が自分の心を満たしてくれ、自分を
幸せにしてくれると信じていた。だから結婚がうまく行かないと、
この相手だからうまく行かないのであって、別の相手ならと、5回
も結婚を繰り返した。しかし決して満たされる事はなかった。

今も多くの人が、自らの欲望が満たされる事が幸せであり、人生の
目的だと思っている。しかしそこに満たしは無い。真の幸せと満足
は、自分の欲望を満たす事でなく、神ご自身にあり、神の御心を歩
むところにある。

主に、御言葉に従って行く時に、自分に真の喜びが与えられ、心が
満たされる。そして目の前の一つ一つの御心に従って行く時に、自
分が変えられる。主のかたちへと変えられて行く。真の喜びと平安
を経験して行く。
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祈りに祈って与えられたものも、すぐに小さな恵みに思えてくる。
自分の気分に従っているといつまでも渇き満たされない。主の与え
てくださった救いと日々の恵に感謝し、真の喜びを求めていこう。