2022年09月05日(月) 「・・そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側か ら出て、人を汚すのです」マルコ7:22
「・・そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側か ら出て、人を汚すのです」マルコ7:22
人の罪は、外側からウィルスのように体内に入るのではない。外か ら入って、汚す事は不可能だ。内側から、心から生まれ、外側に出 ると。だから罪は心にあり、内側の問題だ。内から出るものが人を 汚す。カインは、献げ物が主に受け入れられた、弟アベルに対する 悪い思いに支配されてしまった。 妬みや怒りに身をゆだね、その結果アベル殺害に至った。まず内側 から湧く悪い思いがあり、殺人の行為に及んだ。これはカインの内 の問題であり、外部のアベルは関係が無い。アベルは受け入れら れ、自分の献げ物は退けられた、その事象しか見えず、心に湧く悪 い思いには目が向かない。 その怒りはアベルに向いた。私たちは怒りや憎しみがある時、その 原因を、人や、環境によると思う。相手が悪いから、自分は憎んで いるのだと。自分の憎しみは正当化し、どこまでも相手のせいにな る。だが平安は全く無い。実は「自分の問題」だ。 ある人が、傷つけられた相手を恨んでいた。悶々状態だったが、あ る日「外側から人にはいって来る物は人を汚すことができない」と 語られた。「人から出るもの、これが人を汚す」と。「え!」と目 からうろこだった。自分が辛いのは、相手のせいだと思うので、ま すます相手を恨み、ますます苦しくなっているに気づいた。 相手ではなく、自分から出る恨みが、その罪が自分を苦しめている と。相手は、相手と主との問題だと思えた。間違っていたなら裁か れるだろうし、自分は、恨みの罪を悔い改めた。すると平安が戻 り、悶々が消えた。 ------------ 相手が悪いと、つい自分の憎しみを正当化してしまう。自分の内か ら出ている罪に気づいていたい。主の御心ならいつか正しく裁かれ る。主に委ね、自分自身が主の前に平安を得よう。