2022年10月06日(木)

「幸いなことよ・・まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼 も夜もそのおしえを口ずさむ」詩篇1:1



広大な砂漠に緑の木々を見ることがある。みずみずしい葉が、生い
茂っている。そこには川があり、水がある。日照りのまっただ中
で、水路のそばの木々は青々と葉を茂らせている。「水路のそばに
植わった」がカギだ。

どのような苦しく悲しい試練の嵐の中でも、その人は青々と葉を茂
らせ、決して枯れない。なぜなら水路のそばに植わっているから
だ。そのため水路から絶えず水分を吸い上げ、十分に回り、葉を
瑞々しく茂らせて行く。「その葉は枯れない」。木の問題でなく、
どこに植わっているかの問題だ。

同様に私達も、主から、御言葉から、常に豊かないのちが流れて来
る。御言葉に根ざし、御言葉を喜びとし、御言葉を絶えず口ずさ
む。そこから力と喜びが湧き出て、日照りの中も、それによって生
き生きと生かされて行く。「何をしても栄える」のは、商売繁盛と
か、五穀豊穣、無病息災、家内安全といった御利益ではない。

何でも自分の思い通り、願い通りになるのではない。御言葉を喜び
とする人の願いは、神によってきよめられて行くので、自己中心の
願いが、神のお心にかなったものへ軌道修正されて行く。それゆえ
それは叶えられる。

神の御心を求めて行くので、豊かに祝福され栄えて行く。結局、土
台を何にするかだ。主の言葉か、自分のはかりごとか。主に頼るの
か、自分の力で行くのか。主を見上げて、拠り頼んで行こう。豊か
に祝福される。周囲をも潤して行く。
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どんなに風が吹いても主の御言葉を思いめぐらし繰り返すとき、恐
れが平安に変わる。確信が揺らぐと恐れが来るが、主の御言葉が力
強く支えてくださる。いのちの御言葉に生かされていく。