2022年11月05日(土)

「もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがた は、柔和な心でその人を正してあげなさい」ガラテヤ6:1


ある人が厳しい試練の中にいた。苦しくて、辛くて、又、全く先も
見えない中、真っ暗だった。大変な不安の中、心はネガティブに傾
き、落ち込み、心屈折させて行った。人が皆、幸せそうに見えて、
なぜ自分ばかりと思えてしまう。心が荒んで、ひがんだ言葉が口か
ら出る。周囲の人々は心配して、ずっと祈っていた。

そんな中、彼女と親しい主に在る友人が、主に示されたのだ。彼女
の状態を指摘し、忠告するようにと。尚も祈っていると、語るべき
言葉まで御霊は示される。しかし厳しい言葉であり、言われた相手
は痛く、受け入れられず、怒るだろうと思えた。そんな事も、思い
も何もかも告げて祈り続けていたが、主の示しは変わらなかった。

どれだけ祈っても忠告するよう促される。相手の性質上絶対に怒る
と思ったが、示しに従った。すると思った通りに、相手は激怒して
別れた。しかし導きに従った後、不思議な経験をした。この事の結
果への思い煩いが全く無く、平安だったのだ。心配も無かった。に
従ったので、後は主のなさる事と思えた。

すると夜遅く相手から電話がかかった。「悪い態度をごめんね。悪
かったと思ってる。言ってくれて有難う。」と。あれからずっと考
えたが、言えば嫌われる事がわかっているのに、言ってくれた事に、
思いが至り、愛情を感じた。自分が間違っていて、悔い改めたと。
主に向く事ができ、軌道修正がなされた。

一人が御霊に従う時、双方が主を経験し、新たに主を知る恵みにあ
ずかれる。そして周囲も主のみわざを拝する。

・・・・・・・・・・・・・
忠告や警告は、なかなか難しい。まず自分自身がよく祈り、御霊に
よって整えられ、用いられるよう祈り、従おう。通り良き管として
用いて頂こう。御霊の導きに従う時、必ず自分も平安に満たされ、
みわざを見せられて行く・