2023年04月04日(火)

「また、いばらの中に種を蒔かれるとは、みことばを聞くが、この 世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばな い人のことです」マタイ13:22


別の種は、いばらの中に落ちた。これは、道ばたや土の薄い岩地と
違って、土地自体は良く、蒔かれた種が芽を出して行った。しか
し、芽は出たものの、同時に伸びてきたいばらによって、ふさがれ
てしまった。芽は伸びるが、いばらもまた伸びて、結局ふさぎ込ま
れ、実を結べない。いばらとは、世の心づかいや、富の惑わし、そ
の他いろいろな欲望とある。

「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません」とあり、それ
らは御父から出たものではないと。そんな世にあるもの、肉の欲、
目の欲、暮らし向きの自慢などが、御言葉と一緒に、心にはびこっ
て来る。この世の圧倒的な、神無しの価値観に影響されてしまう。
自分の力と人間的な方法で歩んでしまう。

御言葉の価値観でなく、世の価値観、自分の思いと経験値で判断し
てしまう。それは御言葉が飛んでしまうので、何を食べるか、何を
飲むか、何を着るかは、大きな思い煩いとなる。御言葉は「何も思
い煩うな」「心配するのはやめなさい」と言うが、主への信頼よ
り、心配の方が大きくなっているだろうか。それがいばらであり、
ふさいで来る。

しかし御言葉を抑え込んで来るいばらを引き抜いて、取り除くな
ら、実を結んで行く。世を愛している時、欲望にとらわれている
時、御霊の気づきが与えられるように。サタンの罠に気づけるよう
に。まず主を仰いで、ありのままを祈ろう。主は軌道修正し、導い
て下さる。そして実を結ぶように歩ませて下さる。
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世の様々な心づかいで自分を守ろうとしてしまう。主に祈ろう。主
は常に弱い私たちを豊かな恵みによって支えてくださっている。実
のなる御言葉を見つめ、実を結ぼう。