2023年08月06日(日) 「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配して くださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさら ない」詩篇55:22
「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配して くださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさら ない」詩篇55:22
信仰生活の中で、時に試練に会う。試練は辛く、苦しい。ずっしり 肩に荷がかかっている。心も重苦しい。この重荷をゆだねたら良い のは、よくわかるのだが、ゆだねる事ができない。「ゆだねる」と は、石を転がすというような意味で、主の上に、あなたの大きな石 である重荷を転がしてしまう事だ。 するとその転がした重い石はどうなるだろう。それは主の上にあっ て、自分のもとにはもう無い。そのように、主にきっぱりと手放す 事だ。すると主に渡したのだから、思い煩いが消える。自分のもと には無く、不安が失せて、心が平安になる。そして平安に、主と一 つに、目の前の物事に対応して行く事ができる。経験した事がある だろうか。 ところが、委ねた「つもり」でも、自分が握っているなら、いつま でも不安は消えない。ゆだねたつもりで、実は明け渡していない。 内心では、自分が手を放すと、物事がだめになってしまう、崩壊す るように思うので、放す事ができない。つまり主を信じることがで きない。実は問題が「不信仰」「主を信じる事ができない」ところ にあるなら、その事を認め、主に打ち明け、助けを求めよう。 又、絶対に自分の思い通りにしたいという時も、ゆだねられない。 明け渡すとは、自分の思い通りでなくてもOKです、との態度だ。 その事に執着しているなら渡す事ができない。御霊に心を探ってい ただいて、主の助けを求めよう。主は助けて下さって、ゆだねさせ て下さる。 ・・・・・・・・・ 自分の思いが強ければ、明け渡す事ができない。思い通りでなくな るのは嫌だからだ。自我が握り締めて、どうしても渡せないと打ち 明け、しかし助けて欲しいと、ありのままを祈って行こう。主は求 める者を助けて下さる。、