2023年12月05日(火)

「私はあなたに感謝のいけにえをささげ、主の御名を呼び求めま す。」詩篇 116:17



ある母親の証しだ。朝は、自身の出勤用意と共に、家族を送り出す
のに一刻を争い、非常に慌ただしい。その時に子どもが騒ぎ出す。
「宿題が無い、無い」と。今日提出しなければならない。登校時刻
が迫って来る。母親も出勤時刻だ。懸命に探すが見つからない。母
親はイライラし、怒りが湧いて来る。いつも前日にちゃんと準備す
るように言っている。「何で、昨日にちゃんと準備しないのよ!」
腹が立って仕方がない。

時間が無い。その間も時間はどんどん過ぎる。子供も焦り、泣きべ
そをかいている。だが「すべての事が感謝なんだ」と、ふっと主と
み言葉が頭をよぎる。この事も感謝なんだと思う。しかし一方では
怒りがおさまらない。心で子どもを責め立てている。信仰により感
謝だという思いと、同時にいら立ちが交錯する。

いよいよタイムリミットとなり、もう思いを定めて「神様!この事
態を感謝します!」と主を選び、信仰を向けた。すると同時に、子
どもが「あった!」と叫んだ。思いもよらぬ所に置いていた。主を
感じた瞬間だった。一見不都合な事柄の背後に、必ず主の素晴らし
いご計画がある。感謝する事は、その事柄に主を認める事であり、
信仰を献げる事になる。

主はその信仰に働かれ、信じた通りになって行く。不信仰はすべて
の道を閉ざしてしまう。今、目の前に非常事態があれば「感謝でき
ませんが、しかし感謝します」と意志を向け、信仰による感謝を献
げよう。御霊の方を選択しよう。そうできなければ、できるように
助けを求めよう。
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感情を無視して「感謝します」と祈ってしまうが、本当は感謝して
いない。「感謝できませんが、感謝します」と祈りたい。主が心配
してくださっているのだから。信仰による感謝によって主に問題を
渡そう。