2024年08月05日(月)

「私たちの神、主よ。今、私たちを彼の手から救ってください。 そうすれば、地のすべての王国は、あなただけが主であることを 知りましょう」イザヤ37:20



ヒゼキヤ王の時代に、アッシリヤ王のセナケリブが、ユダの町々を
攻め取った。セナケリブはラブシャケを送り、ヒゼキヤと人々を脅
す。大軍の、強大な軍隊を誇示し、挑んで来る。「ヒゼキヤ王は、
主が救うというが、だまされるな、信じるな」と、信仰を大きく揺
るがして来る。これを聞いたヒゼキヤ王はどうしたのか。

彼は衣を裂き、荒布をまとって主の宮へ行き、主に祈りを献げた。
王は、イザヤにも祈りを要請した。祈りが最大の武器だ。悪魔の私
たちへの攻撃も同様だ。私たちに挑み、攻撃をしかけて来る。経済
的困窮や対人関係の苦しみ、様々な悩み問題、信仰ゆえの戦い・・が
臨む。圧倒的な勢力のこの世を前に、自分たちの無力を見せつけら
れる。

目の前の巨大な問題に圧倒されてしまい、祈っても無駄だ、何にな
る、主を信じてもどうにもならない、しょせん無力だ・・。主を信じ
て立たないよう、この世に妥協するよう誘惑する。そうすれば楽に
生きれる、まさつも無く、しかも世の成功も手にできる。悪魔だ。
このような時の対抗手段は祈りだ。

ヒゼキヤもイザヤも真剣に切に祈った。祈りに答え、主は奇跡をさ
れた。主の使いが、アッシリヤの軍勢18万5千人を打ち殺したの
だ。セナケリブは立ち去った。世に妥協させようと、耳元に来る悪
魔の誘惑に気づけるよう。祈りにより立ち向かおう。そして大事な
事は、悪魔の背後に、全権を持つ主の支配があり、主の御手の中で
ある事に視点を置こう。
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主の前にすべて吐き出し率直に祈ろう。すぐに動き始めよとサタン
は祈りを取りに来るが、それでは足元が崩れてしまう。助けを求め
るのは主だ。主の導きを信じて立とう。