2024年09月05日(木)

「主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼ら を照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた」 出エジプト13:21


モーセに導かれたイスラエルの民は、後にも先にもない偉大な奇跡
により、エジプトを出た。すると彼らが出た先は、広大な荒野だっ
た。主は、この荒野を民への訓練とされた。紅海横断の大歓声、大
賛美で喜び踊った民は、それも束の間だった。目の前に広がるのは、
想像もしない厳しい現実だ。何も無い荒野で、すぐに水が無い、食
べ物が無いと不満、愚痴に変わった。

ほんの少し前に大奇跡を見たのだが。しかしそんな民に、主は水を
与え、天からのマナを与え、養い続けられた。そして道中を導く、
昼は雲の柱、夜は火の柱を備えられ、荒野においてずっと導かれた。
民はいつもそれを見ていた。主は導きの主だ。ある人が進路の事で
主の導きを切に求めていた。導きが来たなら、すぐ行動しようと祈
っていた。

すぐに答えが来ると思っていた。ところが数週間が過ぎるが示しが
来ない。「なぜ?どうなっているのか?」段々、焦りが出て来る。
本当に示しが来るのだろうか。焦りや不安、思い煩いをあるがまま
祈った時に、民を導く雲の柱火の柱の箇所を示された。雲が動く時
に、自分も動く。雲が動ないなら、自分もとどまる。主に従う信仰
の試み、忍耐の訓練と教えられた。

雲が動くまで、主をじっと待つ事を決心した。その時、不安も恐れ
も消えて、平安にされた。そして神の時に、導きが来て、進路が素
晴らしく祝福された。このプロセスを通しての霊的学びが感謝だっ
た。あなたも、今、雲が上るのを待っているだろうか。神の時に、
必ず動く。主を待ち望めるよう祈ろう。
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主の示しが悟れるように祈ろう。平安のないまま動き回らず、御言
葉に、御霊の導きにしっかりと耳を澄ませ、主に従いますの信仰を
持って待ち望もう。主はいつも守り導いてくださる。