2025年10月06日(月)

「自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のため に蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです」ガラテヤ6:8



神は、イエスの十字架の血潮のゆえに罪を赦し、完全に赦して下さ
る。悔い改める時、「二度と思い出さない」と言われ、無罪放免に
される。しかし、どうせ赦してもらえるのだからと、罪を犯しては
ならない。それは放縦だ。決して恵みを放縦に変えてはならない。
そして罪は赦されるが、必ず刈り取りがある。

警察沙汰を起こした子たちは、施設で辛く厳しい矯正訓練を受ける。
親は、迷惑をかけた人々に頭を下げて回り、破損は弁償し、あらゆ
る償いをする。大人の場合も、傷害事件を起こした時、悔い改める
なら、完全に主は赦して下さる、しかし法律上の刑罰を受け、刑務
所で償う事になる。

又、憎しみや妬みで人を傷つけてしまったなら、悔い改めにより、
主は完全に赦して下さる。しかし、一度壊れた信頼関係を取り戻す
には、多大な労力が要る。罪のもたらす傷や害は、思う以上に深い。
罪の結果は、自分だけにとどまらず、家族や周囲をも巻き込み、大
きな悲しみ苦しみを負わせる。

罪をもてあそんではならない。弱いからこそ、罪から守られるよう、
主にすがり、祈っていよう。逆に御霊のために蒔くなら、周囲の証
しとなり、神の栄光が現われ、人々の救いに用いられる。自身にも
大きな喜びがある。御霊の声に耳を傾け、御霊の方を選択し、導き
に従おう。そうできるよう祈ろう。その時、御霊の実を刈り取る。
強情な者なので砕かれ、従えるよう祈ろう。
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私たちは、いつも何かの種を蒔きながら生きている。無意識に蒔い
ても、それを刈り取る。御霊に導かれて、種を正しく蒔くものであ
りたい。そして豊かに刈り取る者になりたい。