2003年08月06日(水)

「肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです」(ヘブル12:10)

神が私達を救って下さった目的は、私達を御子のかたちに造り変える事、御子に似せて行く事だ。御父の手に握られた私達を、御父は見捨てられず見放されずに、どんどん聖めて行って下さる。もし、罪を犯していたら、神は痛みを与えて懲らしめ、立ち返らせて下さる。人の心は
何よりも陰険で偽るものだ。心に偽りがあれば、痛みを与え、苦しみを送って偽りを除いて下さる。自己欺瞞は根深く、自分をすら偽ってしまう者だ。痛みや懲らしめは私達の益のためだ。後になれば必ずわかる。もしその時にその痛みが無ければ、どんなに高慢になっていた事かと。高慢は滅びに先立つ。懲らしめがどんなに感謝であったかが必ずわかる。