2004年02月04日(水)

「この水を飲む者はだれでも、また渇きます」(ヨハネ4:13)

以前一人の青年が証しした。中学生の頃、ギターが欲しくて欲しくてたまらず、親が誕生日のプレゼントにしてくれる事になり、指折り数えてその日を楽しみに待ちわびた。誕生日当日は、授業も全く耳に入らず、ひたすら下校の時刻を待った。喜び勇んで帰宅、いよいよ念願のギターが手に入る。そわそわして、父親の帰宅を待った。そして、その心から求めたギターを手にした途端、なぜか心が萎えたのだ。あんなに欲しかったのに、待ちに待ったのに、心の糸がプツッと切れたように、虚しさで一杯になった。ギターがどうでもよくなった。何をしても満足がなく、やがて彼は神に出会って、心満たされた。仕事、趣味、結婚、富、旅行、あらゆる事で人は心を満たそうとするが、決して満たされない。神に帰り神との交わりのみが心を喜びで溢れさせる。あなたが渇いているのは、神と間遠くなっているためだ。