2004年10月05日(火)

「罪を犯した者は、その者が死ぬ」(エゼキエル18:4)

今日の考え方では、少年犯罪や非行があると、いつも親のせいにされる。親の
育て方が悪いと。又、何か不都合があると、社会や学校、環境のせいにする。
しかし、聖書は違う。どこまでも罪は、その犯した者の責任だ。人に、社会に
責任転嫁して行く事は、間違っている。
そこからは、何の解決もない。何の救いもない。神は豊かに赦して下さるお方
だ。すでに赦しが用意されている。
しかし、その赦しを受けるためには、自らの罪を認めなければならない。ダビ
デのように「私は主に対して罪を犯した」。罪を犯したのは、この私ですと、
はっきり認めて罪を告白する事だ。その時、主の血潮が私に適用される。人は
関係ない。どこまでも自分と神との関係。自らの罪を認める事は祝福。
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不幸な生い立ち、問題ある家庭環境、その苦しみや悲しみは、主が誰よりもご
存じだ。痛みを理解していて下さる。その主と自分の個人的関係が一番大切。
主と向き合い、どのような状況であれ、自分の犯した罪をはっきり罪として認
める時に、赦しがおおう。新たにされる。何にも変えられない恵み。