2004年11月04日(木)

「主よ。どこにいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう」(ヨハネ14:5)


小さい頃、父親が休みの度に色々な所へ連れて行ってくれた。ある時は自転車の後ろに乗せて。ある時は車で。また、歩きで。どこへ行くのかと聞くと、行き先は告げてくれず、お楽しみという事になっていて、驚かす事を楽しんでいた。海や山、遊園地や様々な所へ行った。親を完全に信頼していたので、行き先がわからなくても何の不安もなかった。ましてや、天の御父はどんなに私達の最善を計り、備えていて下さっている事だろう。私達に行く先が見えなくても、神はご計画を持って導いて下さる。私達は先を見たいと思う。将来はどうなっているかを知りたい。しかし、先は隠されていて、足もとの一歩しか示されない。あなたのする事は神を「信頼」する事だ。
------------------------
先はわからなくとも、主に伴われて歩く道だ。行く先には、確かな祝福がある。今日も主にすべてを任せて、わくわくしながらついて行こう。