2004年12月05日(日)

「神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ローマ8:28)

ある婦人は戦争で夫を亡くした。小さな子供達を抱えて、どうして良いかわからない。真っ暗闇で、地の底に落とされたようで、人生でもう二度と笑う事はないと思ったと。しかし、その苦しみを通して、神に出会い、救いを得た。下働きの仕事が与えられ、住み込みの一間が与えられ、子供を育てるために無我夢中で働いた。やがて子供達は立派に成人、巣立って行き、喜び溢れた老後を過ごしている。二度と笑う事は無いと思ったのに、笑顔で「まあ、笑えますもの」。神はどんなに良くして下さったかと。思い通りにならない事を通して、高慢が砕きに砕かれ、もしこの歩みで無ければ、今もどんなに高ぶっていたかと。もうただ感謝しかないと。神に無駄は一つもない。今通っている所は、素晴らしい益のためのご計画。
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私達のために、御子をさえ惜しまずに、死に渡された方が、どうして良くして下さらない事があろう。試練を通過中はトンネルの中で、真っ暗だが必ず出る。造り変えられて、時を経た後、通って良かったと必ず思える。忍耐とは、「神が良くして下さる」と信じること、この忍耐を働かせよう。