2005年03月05日(土)

『アブラハムは答えた。「イサク、神ご自身が・・羊を備えてくださるのだ」(創世記22:8)

女手で子供を育てている婦人に米が底をついた。神に祈り求めた。すると、その日丁度、海外転勤の引っ越し荷造りをしていた友人が「余ったお米、食べてくれる?」と、大きな米袋を抱えて来た。即、祈りが答えられたのだ。アブラハムは遥かに厳しい試練に会った。イサクをどうして献げられよう。しかし、約束の子イサクが与えられるまでの長い年月に、彼の信仰は試され、練られ、鍛えられていたのだ。神の約束がいかに真実であるかを、目の当たりに見て来た。ずっと長い間に培われた信仰が、今この時、いざという時に発揮されたのだ。彼は神を信じた。私達も、信仰生活は、日々に神を信頼して歩む地道な毎日の積み重ねだ。それゆえ、この一日を、神だけに信頼して生きる事は何より大切だ。信頼する度に、確かな手応え、真実な神を体験し、信仰は少しづつ成長して行く。
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通りを歩く見知らぬ人を信じる事は不可能だ。少しづつ交わりが深められ、信頼関係は時間をかけて培われる。信頼は増して行く。神への信頼が地道な日々を通し、天に帰るまで、1日1日積み重ねられて行く事は大きな喜び。今日も神を信頼しよう。