2005年11月05日(土) 「私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています」(ピリピ3:8)
「私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています」(ピリピ3:8)
タイタニックの映画があったが、もし、あの ような惨事から命からがら助かったとしたら どうだろう。旅行が台無しだ、と言うだろうか。 持ち物すべてを失っても、命が助かった事を 喜び、心から感謝しないだろうか。持ち物な どどうでも良いはずだ。私達はどうか。人生 何が一番大切なのだろう。よく考えてみよう。 自分のプラン、自分の好み、自分のプライド、 満足か。それを主に明け渡す事は、何もかも を失うように思うだろう。とても出来ないと 思うだろう。しかし、実はすべてを得る道だ。 明け渡した時、初めて、主はあなたのすべて になって下さる。一切を損と思えるほどに。 中途半端ほど苦しいものは無い。世でも平安 無く、かといって神の事もよくわからず、世 に帰る事も出来ず、いつも心は平安なく、悶 々だ。神を選んで、前に進む事が解決の道。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 「いつまでどっちつかずによろめいているのか」 主が神ならそれに従い、バアルが神ならそれに 従えと、ある時、「はっきりする」事を求められる。 まず、肉が中途半端でいたい事を「認める」事 から始まる。神は一歩一歩成長へ進めて下さる。