2006年11月03日(金)

「わたしはあなたに語りかけたが、あなたは『わたしは聞かない』と言った。わたしの声に聞き従わないということ、これが、若い頃からのあなたの生き方だった」エレミヤ22:21   



主の側では御声をかけ続けて下さ
っている。メッセージを毎週聞い
ているのに、なぜ自分の事として
聞こえないのか。物理的には耳に
聞こえているが、心の耳には入っ
て来ない。聞きたくないのではな
く、聞きはするが、心に御言葉の
種が落ちる前に悪魔に奪われて行
く。なぜ聞こえないのか。
従うつもりが無いからだ。良いお
話と思うが、犠牲を払う気は無い
から、心が受け取らない。御言葉
が心にぐいぐいと入り迫る時は、
自分が聞き従おうとしている時だ。
どのようであれ、御声に従い、自
分が変わろうとの思いがある時、
御言葉が心に力強く響いて来る。
主の言っておられる事がわかる。
種蒔きの例えの土地の通り、自分
の側の心の態度は問題だ。心の奥
では拒んでいたりする。
無意識かも知れない。うすうす感
じているかも知れない。あなたの
心はどうだろう。実は聞こえては
困るのではないか。成長は気づき
から始まる。本当の姿に気づける
ように。気づきは御霊の働きだ。
光が心に臨んでいる証拠だ。
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御言葉が窮屈なのではない。真理
は人を自由にするのに心に真っ直
ぐ入ってこないのは何故だろう。
何がさえぎっているのだろうか。
何故聞けないのだろうか、立ち
止まってよく祈ってみう。