2007年03月04日(日)

「私たちの神、主よ。今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、あなただけが主であることを知りましょう」イザヤ37:20

ヒゼキヤ王の時代に、アッシリヤ王のセナ
ケリブがユダの町々を攻め取った。王はラ
ブシャケを送り、ヒゼキヤや人々に脅しを
かける。大軍を伴い、強力な軍隊を誇示し、
挑んで来る。ラブシャケは、ヒゼキヤは主
が救い出すというが、そんな言葉にだまさ
れるな、信じるなと、信仰を揺るがして来
る。これを聞いたヒゼキヤは衣を裂き、荒
布をまとって主の宮へ行き、祈りを献げ、
イザヤにも祈りを要請した。私達に挑み、
攻撃をしかけて来るサタンも同じだ。経済
的な事や信仰ゆえの戦い、圧倒的な勢力を
持つこの世を前に、自分達の無力をこれで
もかと見せつける。祈っても無駄だ、神を
信じて何になる、しょせん無力だ・・。神を
信じて立たないように、この世に妥協して
生きるように誘惑する。そうすれば楽に生
きられるし、世の成功を手にできる。サタ
ンだ。このような時には祈りが対抗手段だ。
ヒゼキヤもイザヤも祈った。その時、神は
奇跡を行われ、主の使いを遣わし戦わせた。
その結果、アッシリヤは立ち去った。世に
妥協させようとする、耳元に来るサタンの
誘惑に気づけるように。あなたにもこの誘
惑が来ているか。祈りによって立ち向かおう。
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信じても無駄だ、どうにもならない・・、こん
な微力、焼け石に水だとサタンが攻撃して来る。
又、楽な道、安易な道を誘惑して来る。神は
働きみわざをされる。サタンのささやきに気づこう。