2007年07月06日(金) 『パウロは彼に目を留め、いやされる信仰があるのを見て、大声で、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と言った。すると彼は飛び上がって、歩き出した』使徒14:9
『パウロは彼に目を留め、いやされる信仰があるのを見て、大声で、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と言った。すると彼は飛び上がって、歩き出した』使徒14:9
ルステラで、生まれながらの足なえの 男性がいて、一度も歩いた事がなかっ た。その人がちょうど座っていて、パ ウロが語る御言葉にじっと聞き入って いた。彼は、自分の足に関して、何も、 どうする事もできなかった。どれだけ 頑張っても歩く事は不可能。自らに全 く望みを置けない、完全無力の状態だ った。自分で何もする事ができない。 だからこそ、「自分の足で、まっすぐ に立ちなさい」とのパウロの言葉にす がった。すがれたのだ。彼にはこの言 葉しかなかったのだから。全望みをか けて信じた。この言葉がすべてだった。 自分に何も無いからこそ、そうできた のだ。その言葉に拠り頼んだ。信仰が 働き、神の力が働き奇跡が起きた。一 度も歩いた事のない彼が、飛び上がっ て歩き出した。私達も自らの完全無力 を知る時が、信じる時だ。何の方策も 無く、何もどうにも出来ない。信じる しか道がない。その時に初めて信仰が 働く。自分の力、自分の方法に頼って いる限り、自分を信頼している限り、 神への信仰は無い。幾ら御言葉があっ ても、必ず自分の力で、自分の方法で やって行く。そこに信仰の入る余地は ない。信仰とは、御言葉だけを頼りに し、自分を任せて行く事だ。ゆえに、 自らの無力を知る事が大きな祝福であ り、幸いだ。無力に落ち込む事など無 い。 -------------- 弱さが恵みであり神様の栄光を見る事 ができるのは、拠り頼むその時だ。無 力と知ることは感謝であり、密接な神 様との交わりの要だ。