2007年09月05日(水)

「すると、兄はおこって、家にはいろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた」ルカ15:28

兄息子は、放蕩の弟と違い、きちん
と父親のいいつけを守って、仕事を
していた。家出もせず、父のもとを
離れず、忠実に労働をしていた。正
しい関係を守っていた。恵みによら
ずに律法を行っている人は、「必ず」
人をさばく。兄は自分がなすべき事
をしていたため、好き放題をして、
身をもち崩して帰って来た弟を受け
入れる事ができない。ましてや、そ
れを喜んでいる父を見るや、怒りに
震えて、家に入ろうともしない。喜
びと楽しみの大宴会にいる弟と、家
の外の暗闇で、すねてひがんで、怒
って、歯ぎしりしている兄は対照的
だ。兄は、父が子山羊一匹くれない
と心を屈折させているが、父は、わ
たしのものは全部お前のものだと言
っている。兄にとり、父との関係は
取引き関係だった。労働を提供する
から、報酬は当然、ギブアンドテイ
クの関係、雇用関係、それは労使関
係だ。あなたと神の関係はどうだろ
う。祝福を貰いたいがために、良い
行ないを、奉仕を提供しているか。
愛をもらうために仕えているか。そ
れなら報酬のために仕える、労使関
係だ。私達と神の関係は、愛の関係
だ。それは信頼関係であり、神の溢
れるばかりの愛に応えたいから、愛
が嬉しいから自発的に仕えて行く。
神の信頼に応えたいから、自由意志
で仕えている。
・・・・・・・・・
いいつけも守り、怠けもせず、仕事
もし、きちんとしているのに、心は
惨めで喜びなく虚しい。外側繕って
見えないが実は内側強烈自我だ。あ
りのまま御前に行き、ありのままを
主に告げよう。今愛されているゆえ。