2007年11月05日(月)

「彼らはまた、憎しみのことばで私を取り囲み・・私の愛への報いとして私をなじります。私は祈るばかりです」詩篇109:3



ダビデは真実を向けた相手になじ
られ、愛するに関わらず憎しみで
攻撃されるという辛い苦しい経験
をした。サウル王やアブシャロム
による迫害ではないかと言われて
いる。非常なる苦悩であったろう。
愛や誠意、真心は必ず通じると思
いたいが、そうでない場合がある
という事だ。その場合はどうすれ
ば良いかを、ダビデを通して学ぶ
事ができる。誠意と愛をもって接
して来た人々が、敵対し、攻撃し
て来る。邪悪な口と、欺きの口と、
偽りの舌をもって、憎しみの言葉
で取り囲み、罵り、なじって来る。
苦しい状況だ。まさに、人間の神
に対する態度そのものだ。しかし、
神は、神を捨て、神に敵対する者
を更に追いかけ、御子まで殺して
下さった。その御子を私達はどう
扱ったか。神の愛すら通じないの
であれば、罪人である人間同士の
愛が通じなくとも不思議はない。
主は十字架上で、人々の罵りに対
してどうされたか。人々の赦しを
御父に祈られた。ダビデも同じだ。
「私は祈るばかりです」。相手に
復讐するのでなく、神に心の内の
すべてを打ち明け、神に叫び、神
に知って頂くことができる。神に
心の内を叫び祈ったダビデは、こ
の後、賛美と感謝へと変えられて
行く。今、辛い中に、苦しみの中
にいるなら、答えは「私は祈るば
かりです」
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私達は感情に翻弄されるばかりだ。
繰り返えす愚かさから守られるた
めには、ただ神様に頼るしかない。
心整られえ、御心に添って行るよ
うに、常に祈り心でいよう。