2008年06月05日(木)

「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである」Uコリント12:9

パウロは目の持病があったと言わ
れている。「私の肉体には、あな
たがたにとって試練となるものが
あったのに、軽蔑したり、嫌った
りしないで」「自分の目をえぐり
出して私に与えたいと」痛みもあ
り、人に対して不快感を与えるも
のであり、パウロにとっては、こ
れさえ無ければと思うものであっ
た。これがあるがために、働きが
しにくい、これが無ければ、もっ
と有効に主のために働けるのにと。
しかし、神のみ思いは別であった。
高慢にならないためであり、弱さ
の中にこそ、神の力が働くのであ
り、逆にその弱さを嘆くのではな
く、誇れと。私たちにも与えられ
ているだろうか。これさえ無けれ
ば、もっと主のために働けるのに。
これにより足を引っ張られている
のではないか。性格的弱さか、境
遇か、病か、しかし、恵みは十分
だと言われる。満ち足りていると。
その弱さを取り去るのでなく、そ
うでなくその弱さこそが、神が現
れるところだと。あなたにも、こ
こがもっとこうだと良いのに、こ
れさえ無ければよいのに、とうい
うものがあるか。そこを誇ろう。
そこにこそ神の栄光が現される。
又、私たちもパウロのように何で
も祈り求め、そして自分の願い通
りにならない事も祝福だと知ろう。
ノーの答えの中に、そこに神の御
心があるからだ。神の御心を知る
ことが、自分の思い通りになる事
以上に素晴らしい祝福だ。
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祈っても変わらない状況の中で不
満や憂いに落ち込む時、神様は私
に何を教えようとしておられるの
か、どう変われと言っておられる
のだろうと御心を尋ねてみよう。