2008年07月05日(土)

「なんと幸いなことでしょう。その力が、あなたにあり、その心の中にシオンへの大路のある人は。彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします」詩篇84:5 


悲しい事や苦しい事、理解に苦しむ事
が起こる。未信者にもクリスチャンに
も同じように起こる。しかし、違いは、
神を信じる人は、どんな悲惨な出来事、
どんな悲しい苦しい事の中にも、そこ
に神を認めて行く。そのまっただ中に
神がおられ、神の愛、慈しみ、助けを
実際に体験して行く。神を信じない人
は、どんなに奇跡的な素晴らしい事が
あっても、そこに神を決して認める事
は無い。そこの相違だ。信じる人は何
を見ても、どんな出来事が起きても、
そこに神を認め、神の愛を認める。ど
んな問題や悩みが来たとしても、神を
信じているから、そこを泉の湧く所と
する。そして、その中に神を見、新た
に神に出会って行く。信仰とはそうい
う事だ。どんなに耐え難いような出来
事が起きても、神を信じる人は、そこ
に神を見る。だから、痛みの中にも、
心の奥底に深い平安を経験し知ってい
る。もし、思い煩い、焦り、恐れ、不
満があるなら、神以外のものを頼り、
見ている事になる。真っ直ぐに神を見
上げよう。その時、その所こそ、泉
の湧く所である事を、神は深く味わわ
せて下さる。
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涙の谷を、泉の湧く所として下さる。
十字架から愛と癒しと慈しみが流れ
出る。十字架の下に立って、十字架
を見続けよう。そこに解決があり、深
い平安に包まれる。