2009年01月05日(月)

「するとダビデは地から起き上がり、からだを洗って身に油を塗り、着物を着替えて、主の宮にはいり、礼拝してから」Uサムエル12:20



ダビデは姦淫と殺人の二重の罪を犯した。神が遣わされたナタンからの罪の指摘により、
罪を認めて告白した。「私は主に対して罪を犯した」。その罪は赦された。

「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった」。罪は赦されるが、しかし、罪には刈り取りがある。蒔いたものは刈り取る。「あなたに生まれた子は必ず死ぬ」。

バテシバが産んだ子供が病気になった。ダビデは祈り、断食し、一晩中、地に伏した。ひたすらその子の癒しを祈った。

心からの切なる祈りも叶わず、その子供は死んでしまった。
ダビデはその死を聞いた時、怒ったり、わめいたり、呪ったり、嘆いたりしなかった。

起き上がり、からだを洗って、身に油を塗り、着物を着替えて、主の宮へ入り礼拝した。主の御名を崇めた。
ダビデは心からの切なる願いに対して、神の答えが「ノー」であった時、それを受け入れたのだ。

私たちも、どんなに願っても、「ノー」が神からの答えである時、それを受け入れる事を教えられる。時に、「ノー」の答えがある。

パウロが肉体のとげを取って欲しいと懇願した時、神からの答えは「ノー」だった。
とげがあった方が、より神の栄光と力が現わされ、神の臨在をもって弱さをおおうと。
私たちも「ノー」の答えが来た時、受け入れられるよう祈ろう。
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どのような答えも神様の御心だ。ノーの答えに神様を認め受け入れよう。祈りが変えられ、また砕かれ、次の道へと導かれる。