2009年02月03日(火)

「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います」マタイ18:22



日常生活して行く中で、弱さ、足らなさのゆえに、どうしても人を傷つけたり、人に傷つけられたりしてしまう。

悪意でなくとも、誤解や行き違いが生じたりする。完璧な人などいない。
不愉快な思いをしたり、被害をこうむる事がある。

それゆえ、日毎に赦し合う必要がある。赦しは、神との関係に直につながっている。人を赦さなければ、自らと神との関係にひびが入る。

そのように御言葉が言っている。「私たちの負い目をお赦しください。
私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました」。

ユダヤ人をかくまった罪により、ナチス強制収容所で姉を失ったコーリー・テンブームは、戦後、各国を回り証しし、御言葉を伝えていた。

ドイツで赦しの福音を伝えた。集会の最後に、握手を求めて人々が列をなした。その時、一瞬心臓が停止し、世界が止まったのではないかと思った。

姉を虐待し死なせた人物がそこに並んでいた。時間が止まり、心身が硬直した。赦しを説きながら、自分は絶対に赦せない。

一瞬、「主よ助けて下さいと」心で叫び祈った。「手を差し出しなさい」との主の御声を聞いた。自分には出来ない、しかし意志で主に従うべく重い手を差し出した。
その時、天から愛と赦しが降り注ぎ、抱き合った。意志を向ける時、神が働かれる。赦しが臨む。
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赦せないという肉の声と同時に、私達は、赦しなさいの神様の御声も聞くことが出来る。自分には絶対できなくても神様がさせて下さる事を信じ、委ねよう。