2009年03月05日(木) 「また神のすべてのみこころを十分に確信して立つことができるよう、あなたがたのために祈りに励んでいます」コロサイ4:12
「また神のすべてのみこころを十分に確信して立つことができるよう、あなたがたのために祈りに励んでいます」コロサイ4:12
神が、私たちのために御心を持っておられ、御心を求めよと言っておられるからには、御心を教えて下さるはずだ。 祈り求めよう。神の御心は、神のみことばと必ず一致する。 神は矛盾した事はなさらない。御言葉に反する導きをされる事はない。 具体的に多くの原則が記してあるので、それに従えばよい。聖書に書いていない、個人的、個別的な事柄は、みことばと、祈りによる聖霊の平安と、環境が一致することが原則だ。 よくよく祈って、導きを求めていると、聖書を読んでいる中で、又、礼拝メッセージの中で、聖書の学びの中で、神からの語りかけが、心の耳に聞こえて来る。 そして、よく自分自身も吟味しつつ、自分が、そうする事は神の栄光を現わすか、証しとなるか、周囲のつまづきとならないかも、考えてみるとよい。 動機は大切だ。ジョージ・ミュラーは大きな働きをする時に、神の栄光を自分が取ってしまわないかを、必ず自らの動機を探った。 神の導きは、必ず秩序があり皆にとっても祝福となる。又、神の御心なら、周囲の兄弟姉妹とも一致があり、周囲も平安がある。 自分は確信があるが、よく祈ってくれている人々が反対の場合、突き進まないで、よく祈りを積む方が安全だ。 御心であるが、時期尚早、まだ「神の時」でないのかも知れない。 ----------------------- 確信を持って歩みたい。そのために祈り続けよう。御心ならば力強く、そうでないなら方向を変えてと、あらゆる事を祈りを通して導かれますように。