2009年09月04日(金)

「ですから、私たちは今後、人間的な標準で、人を知ろうとはしません」Uコリント5:16

 

私たちの生き方は、物事の見方によって、大きく影響される。
普段、どのような見方をしているだろう。人をどう見ているだろう。その人の地位や立場による、人間的標準だろうか。それなら、その人が地位を失い、立場を失脚した時に、価値が無くなるのだろうか。

能力や実績だろうか。では、その人が仕事で失敗し、又、結果が出せなかったなら、どうなるのだろう。それは人の見方と同時に、自分自身への量りにもなる。人を裁き、又、自分も裁き、自分に価値を見い出せなくする。

子供を立派に育てる事で、親としての価値を見い出すなら、子供が問題を起こした時、拠って立つ所を失ってしまう。
それらはすべて古い、人間的標準だと主は言われる。私たちは、そのような見方に立たない。

「だれでもキリストの内にあるなら、その人は新しく造られた者」私達は、古い見方に過ぎ去り、主からの新しい見方で人生を歩んで行く。
主は十字架で、私たちの人間的標準、肉の見方、古い見方を清算して下さった。だから、新しい視点に立って歩んで行ける。

主はどう見ておられるだろう。まず私たちはすでに完全な愛で愛されている。
その愛は不変であり永遠だ。愛を貰うために、受け入れて貰うために良い行ないをするのではない。すでに完璧に愛され、受け入れられているから、主の愛に応えて良い行ないに励む。肉の見方に気づかせられるよう。
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古い見方によってアップダウンする時、主はどう見ておられるかに戻ろう。「だれでもキリストの内にあるなら、その人は新しく造られた者」に立って、新しくされた立場を生きていこう。