2009年11月04日(水)

「私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます」Tコリント12:23



ある人がずっと自分に自信を持てずに大きくなった。いつも
人と比較し、自分はダメ意識が強かった。人前に立てず、
いつも尻込みし、劣等感のかたまりであった。

青年になり、家の商売を手伝う事になり、将来はそれを継ぐ
事になっていた。父親のもとで、言われる通りに一生懸命に
働いた。年数を経る内に仕事を覚え、身について行った。
積極的にアイデアを出し、新しい企画も担当するようになっ
た。仕事に少しづつ自信が持てた。何より父親が、そんな自
分を喜んでくれている事が嬉しかった。

しかし、それは、心に巣くう劣等感の解決にはならなかった。
真の解決が来たのは、後に主イエスに出会い、キリストの
からだである真理を知った時だった。

私たちはキリストのからだであり「比較的弱いと見られる
器官がかえってなくてはならない」のだと。目が手に向かい、
頭が足に向かい、あなたを必要としないという事ができない。
一人一人が頭、目、鼻、口、手、足・・として、神が一人一
人をなくてはならない者として、見ておられる。

神が自分をそのように見ておられる事を知った。
神が自分を必要とし、無くてはならぬ者として下さってい
る。この事に目が開かれた時に、自分は変えられた。
人と比較する必要がない。卑下する事なく、等身大で、あ
りのままの自分で、神に従って行けばよい。初めて安堵で
一杯になり、喜びを経験した。
----------------------
私達は主にあってひとつの身体だ。ひとりひとりの各器官
は、共に苦しみ共に喜び、いたわりあう。そのような者に
神様はして下さった。みな尊い主の肢体だ。