2010年07月02日(金)

「するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えた」使徒12:23

   

ヘロデ王が、前進を続ける初代教会の前に立ちはだかった。残虐非道な人物であ
り、彼は十二使徒の一人ヤコブを殺害した。それがユダヤ人の気に入ったのを見
て、人々に取り入るために、次にペテロを捕え、殺害しようとした。

彼は何でも、王である自分の思い通りになると、見くびっていた。しかし、神は
関与され、阻止された。4人一組の兵士4組の厳重な監視の中、御使いが現われ、
鎖が解かれ、連れ出された。

ペテロは救い出され、番兵達を処刑したヘロデは、自分に栄光を帰しているまっ
ただ中で、神に打たれ息絶えた。ヘロデは常に人々の歓心を買うことに躍起であ
った。権力と地位を用いて、したい放題に、自分の欲望の思うがままに振る舞っ
た。

人々から「神の声だ」と言われ、自分が誉めそやされる事に酔いしれ、自分に栄
光を帰した。その結果、高慢ゆえに滅んでしまった。私たちもヘロデから学ぶこ
とができる。心の王座に、自分が君臨していないだろうか。

それなら、自我と欲望の命ずるままに行動してしまう。ペテロやパウロは人々か
ら崇められ、慕われる時も、「栄光は神に」の姿勢を決して崩さなかった。彼ら
の信仰であった。

心の王座にいるのは、主だろうか、自分だろうか。人の目、評価が気になり、人
に認められたい誘惑が絶えず来る。そんな自分を認め、主のもとへ行こう。そし
て、気づく度に御前に明け渡そう。

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ヘロデは神に打たれた。しかし、その理由が「神に栄光を帰さなかったから」と
ある。「神の声」と言う民のご機嫌取りに酔い、栄光を我がものとした。自分の
称賛を快しとし、栄光を奪っていないか。一つ一つの恵みを覚え、神に心から感
謝し、賛美し、栄光をお返ししよう。