2010年11月04日(木)

「あからさまに責めるのは、ひそかに愛するのにまさる。憎む者がくちづけしてもてなすよりは、愛する者が傷つけるほうが真実である。」箴言27:5


時に、真っ直ぐに語ることは大切であり御心だ。自分が言いたくない厳しい事も、御霊が導かれるなら、はっきりと相手に語る必要がある。相手には必ず痛い、聞きたくない、触れられたくない所なので、その忠告や警告、助言は相手に嫌われるかも知れないし、反発されるかも知れない。言わない方が楽だ。

しかし、御霊の促しがあれば、従うことが必ず祝福となる。「築き上げるためであって、倒すためではない」、神がされる事は、常に建て上げ、築き上げられる事だ。相手を築き上げるために、神はあなたを用いられる。忠告するように促されたなら、まずよく祈り執り成して、自分も同じ状況になればどうかとよく考えてみるべきだ。

単に罪を責めるだけでなく、自分にも弱さがあり、相手への同情と愛情が与えられる。愛が無ければ、その忠告は無意味で虚しい。やかましいどら、うるさいシンバルになってしまい、相手の心に届かない。又、逆の場合もある。忠告を受ける場合だ。

誰かが、間違いを指摘し忠告してくれる時、それは、人からではなく神からだ。素直に、謙虚に耳を傾け、警告を受け取ろう。自我、プライドには、痛烈な打撃かも知れないが、へりくだる者を神は高められる。力強い御手の下にへりくだろう。へりくだる者に必ず成長が与えられる。
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倒すためでなく築き立て上げるために相手に向かっているのか、良く祈り示されたなら主とともに口を開こう。対人関係の中で真実を言うのも聞くのも難しいが誠実で平和な心が自分にあるかに向き合ってみよう。